雑記
映画の感想とかの話ではなく・・・
どうでも良いことではあるんですが(しかもこんな真夜中に)
先日ツイッターでつぶやいた話↓
またスクリーンでばしゃ馬さんが観たくて、去年50人程のキャパの試写室を借りる為にツイッターで参加者募ろうと思い、問題がないか東映に問い合わせをしたら結果的に許可頂けずにできなかった。そう言うとマイナスイメージのようだけど、何故NGか一オタクにも真摯に説明・ご対応下さったんだよな〜
— fuka (@fuka911) 2016, 1月 18
の詳細を、メモ的に残しておこうかなと思いましたので雑記。どうしてNGだったのかと質問いただいたりもしたので。
○○の上映会やりたいな〜と考えている方には、ちょっとくらいはためになるかもしれません。
去年の9月頃の話です。
職場の近くに「レンタル試写室」なる施設があることを同僚から聞き、「そうか!そういう場所もあるか〜」と早速検索をしました。映画一本分程のレンタル時間であれば想像していたよりも金額がかからず、同志を募るにはアクセスも悪くない場所。
『ばしゃ馬さんとビッグマウス』の公開から丸二年が経ち、また大きなスクリーンで観たい気持ちも沸々していたので、11月初旬に開催の目星をつけて「鑑賞会」を行おうと思い立ちました。
開催にあたって、友人・知人内の安田担に声をかけるだけでは参加人数が少ないので(友達がいません☆)、ツイッターで呼びかけや募集をしてみようかなと。自宅やパセラなんかで友人らと見る時とは異なりますし、また、開催して何か問題があってはいけないので、ひとまず東映株式会社様に確認をとることにしました。
東映ホームページの問い合わせフォームより連絡。
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個人主催の映画鑑賞会に関して
今年11月初旬に、都内のレンタル試写室にて、2013年公開の映画「ばしゃ馬さんとビッグマウス」の鑑賞をしたいと思っております。
鑑賞会は、同作品のスクリーン鑑賞を希望する成人女性複数名で試写室をレンタルし、作品を鑑賞する目的で開催いたします。複数名というのは現時点では未定ですが、およそ30〜40人前後を想定しております。試写室レンタルにかかる費用のみを参加人数で負担し、その他の営利目的は一切ありません。
作品のディスク(公式で発売されたブルーレイです)は購入しております。
上記のような内容で、鑑賞会を開催しても構いませんでしょうか?
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実際に送った内容からは色々省略していますが、聞いたことは上のような事柄です。
翌日、広報室のご担当者さまより早速お返事をいただきました。
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ご質問いただいた鑑賞会についてですが、
公共施設やイベント会場などで、不特定多数の方にご覧いただくことを目的として映像ソフトを使用する場合は“上映”という括りになります。
一般に市販されている商品は個人視聴のみ許諾されておりますので、有償・無償に関わらず、不特定多数に向けた上映に関しては、残念ながらご使用いただけません。
弊社では上映用のDVD/Blu-rayの貸し出しは行っておらず、上映会のご相談をいただいた場合は、条件をお伺いし許諾の判断をさせていただき、フィルムまたはDCPをお貸ししております。
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これまた一部省略していますが、とりあえず「簡単にはできなさそうだな」と思いました。
そもそも私の勉強不足であったのが、自分がやりたいことが「鑑賞会」ではなく「上映会」だということ。無知でお恥ずかしい。
東映さんからのお返事にある通り、観る側に対して映画を流すことは、営利目的を問わず「上映」になるそうです。深く考えてみたこともなかったんですが、何となく制作側だけが使用する言葉だと思っていました。
それから自宅に帰って、ブルーレイに入っている差し込みのペラを改めて読んでみました。
このディスクは、一般家庭内における私的再生に用途を限って販売されています。従って有償・無償に拘わらず、権利者の書面による事前の承認を得ず、貸与・複製・公衆通信・上映等を行うことを禁止します。
…とありました。非常に見覚えがあります。自宅にある他のDVD・ブルーレイ類を見てみましたが大体書いてあることは一緒。再生して最初に出てくる画面にそれが書いてあるのも一緒。そんでもって、ばしゃ馬さんブルーレイのペラには「キングレコーズ」と書いてあったので「あ、私そもそも問い合わせ先から間違えたかな?」と思いつつ…。
しかし『権利者の書面による事前の承認を得ず』ということは、承認を得ればできるかもしれない。また天童くんがスクリーンで観たい…。ジャニオタ・ライフワークで磨かれたあきらめの悪さを発揮して、更に問い合わせをしてみることにしました。
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「上映会のご相談をいただいた場合は、条件をお伺いし許諾の判断をさせていただき、フィルムまたはDCPをお貸ししております。」
との事ですが、許諾のご判断を願いたい場合、具体的にどういった内容の提出・提示が必要となりますでしょうか?また、上映会開催の相談先は貴社広報室宛で構いませんか?
改めて概要をまとめ、「上映会の相談」といった名目で再度問合せるように致します。
許諾に際し、判断基準や条件などございましたら事前に準備した上で問い合わせたいと思いますので、どうぞご教授いただけますと幸いです。
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私が東映の担当者だったら「コイツしつこいな」と思ったと思います、すみませんでした……でもすんなり諦めがつかなかったので連絡。
それから一週間程お返事がなく、はじかれちゃったかな〜と思っていた矢先に未登録の番号から着信がありました。仕事中で出られなかったので、後から折り返すと東映さんの広報室宛に繋がり、お電話いただいていた旨を説明。
私からの電話を受けてくれた恐らく新人さんなんだろう方と一悶着して(笑)、(だって「間違い電話ではないですかね?」とか言ってくるからww)その後ようやく担当者さんから再度電話をもらいました。
と言うかここまでの前ふり別に書く必要なかったなと今さら思ってますが、とりあえず追加で問い合わせていた内容に対するお返事を聞きました。
結論的には、『ばしゃ馬さんとビッグマウス』は上映会に対する貸出用のフィルムやDCPがないそうです。
DCPとは「デジタルシネマパッケージ」の略称で、フィルムではなくデジタルデータによって映画を上映する方式のことだと説明もして下さいました。そして貸出用のフィルムやDCPがある作品でも、営利・非営利を問わずレンタルするためにはお金がかかるとのこと。
思わず「いくらくらいなんですか?」と聞いちゃいましたが、それは作品によってピンキリだそうで、ものによっては諭吉さんが50人くらい必要とかもっと必要とか……公開した年が新しいほど金額も高い傾向にあるみたいです。なるほどジャニだし高そうだな…。
それからもしばらく、オタクの質問疑問に受け答えして下さいました。
まず『貸出用のDCP等が東映側で管理されるようになる基準』について。
一概には言えないそうですが、貸し出しのある作品のほとんどが古い作品のよう。所謂「名作シリーズ」的な認識でいて間違っていないようです。
『試写室をレンタルして、ブルーレイ購入者個人が映画を観る場合』について。
これは上で述べた「上映」にあたらず「鑑賞」であるため、許可は必要ない。しかしそれをやるには費用がかかりすぎます。
では、オタクがよくやっている『カラオケ等で数名で作品を見ること』。
これは「許可していますとはハッキリ言えないが、あくまで鑑賞の範囲であれば禁止行為ではない」とのこと。メディアの購入者だけがそれを見る権利があると括ってしまうと、極端な話ですが同居している家族は一切見てはいけないのか?ということにもなるので、「私的再生に用途を限って」OKだということ。
つまりオタ会は、私的再生にギリギリ内包されるから「やめてください」とは言われない。でも上映会は、私的再生の枠を越えているため販売されているメディアを使用することはできない。しかしながら貸出用の媒体がないため上映会は不可能である。
たまたま場所が試写室で、人数がちょっと多いだけで、これは私的再生だと思っています!上映会ではありません!!と言い張ればもうそれは言いようなのかもしれませんが、個人のモラルに接することで、一般販売ソフトでの「上映」は禁止されているので、きちんとご説明いただいた以上きちんと納得して、DCPもないし上映会は諦めました。
この記事を書いている最中、どうにかスクリーンで観る方法ないもんかなぁと考えながら、「私が富豪になってシアタールームを家に作るしか無い」と寝ぼけた頭で結論付けていたら、検索でこういうやつがあることをさっき知りました。
どうやらTOHOさんがやってるみたいです。リクエストが一定数集まったらTOHOが上映の交渉をしてくれて、許可がおりたらチケットが販売される…みたいな仕組み(ざっくり)。
東映の映画だけどいいのかな……分からないけど、検索したらばしゃ馬さんも出てきた(今2700位くらいだったけど。笑)のでとりあえずリクエストしてみました。私が金持ちになるより現実的かもしれない\(^o^)/
嵐さんで言うと「花男」とか「青の炎」とかこれでリバイバルされたみたいでうらやましいなー!Jストが絡んでると許可もらえないっぽいですが(黄色い涙がそうとか)絡んでない?もんね??
あーーーーうわーーーーまた上映してくれたら、みるみるぜったいみるよ…(CV 馬淵さんの地元の友達)
以上雑記でした。
あくまで東映さんに問い合わせた話なので、その他については分かりません。
フードをはらうという振り(元気コン感想)
ネタバレです!
元気コン 東京公演感想
完全にネタバレです。
先週、元気コン札幌に行ってきて初日の感想を書きました。
忙しいあんたが大好きだけど(元気コン初日感想) - ジャニオタ八十三番地
見返してみると不満が多いんですが(笑)書いていたことは、自分としてはそんなに大袈裟でもないなという感じです。確かにそういう感想でした。今もそんなに変わってません。
札幌→東京ではセトリなどの変化も少なくなかったので、先週木〜日の4日間の東京公演を見ての改めての感想を名古屋公演前までにまた書こうかなと思い、今に至ります。
※札幌公演との変化がこの感想文の主な内容になってきますので、そういった内容を好まない場合本当おすすめしません。(札幌はこうだったけど、東京ではこうなってた的なこと)
これもめんどくさいオタクのひとりごとです。
東京公演初日を見た後はとりあえずびっくりしました。びっくりしたし、びっくりした方も多かったはず。「あれっ!エゴサした!?」と誰かに問いかけたいくらい、セトリ・映像・演出と、色んな部分にメスが入っていました。
手術の経緯はもちろん我々には分かりません。が、初日を終えてみて、少なからずご本人たちやスタッフさん方にもどこか疑問を抱く部分があり、より良きものにするため、東京に向けて前向きな変更や改訂を行ったという事実はちょっと嬉しくもありました。冒頭にリンクした札幌の感想記事を読んでくださっていたら、そら嬉しかったろうなお前と思われると思います。嬉しかったです。
でもって、その手術は無事に成功していたんじゃないかと思っています。偉そうにそんな例えして恥ずかしいですが。
うーん、なんと言うか……すごく親切になっていたんじゃないかと思うんです。よりお客さんにやさしい仕様になっていました。初日セトリよりも、もっと分かりやすく真っ直ぐになったようなイメージかな。
分かりやすく盛り上げてくれて、伝わりやすく話してくれて、感動しやすく歌ってくれて。披露している曲は同じなのに不思議です。むしろ二曲減ったのに不思議。
同時に、「初日には『これ』がなかったから私ここで気持ちが乗りきらなかったんだなぁ」とか、曲以外の要素がLIVEで担うものの大切さもひしひしと感じられました。
そう言えば今回のお衣装に、どれくらいかは分かりませんがヤスが関わっているみたいです。(会見のニュースで読みました。)どうりでガチャガチャしてるわけだ〜
以前書きましたが今回の衣装一部を除いて自分好みじゃなくて、でもTLを見てると「さすがヤス!」的な感想を見かけたりもして、それにはちゃっかりほくほくしちゃうという訳の分からない感じになりました。担当が褒められるのってほんとハッピー…我がが仕事で成果を出して表彰された時くらい、むしろそれよりもっと嬉しくて己が担当の担当であることへの誇りが増してゆきます……(?)
私は衣装はキャンジャニと夏の恋人が好きです!ヤスがかんでなさそうなところですw
でも安田プロデュース衣装またやってくれたらうれしいな…できればちょっとと言わず、0から10までがっつりやってくれたらな…パンツを作った男!!
すいません感想の話に戻します。全てではないですが、札幌からの変更点を書き出しながらにします!
◆「がむしゃら」間奏の自己紹介詰めがなくなった
…なくしてよかったと思います(笑)
初日では、感想部分の数十秒間に7人分の短い挨拶とヒナの「男声出てるかー!」などの煽りをつめちゃっていて、とても慌ただしい印象だったんですが。
東京からは潔くそれがなくなって間奏部分もカットされました。その代わりに、「もんじゃい」と「ふりむくわけにはいかないぜ」の間にヒナの挨拶が入りました。それについてはこの下に。
◆煽りの大切さを実感
上に書いた、「もんじゃい」と「ふりむくわけにはいかないぜ」の間に増えたヒナちゃんの挨拶。
これが増えたことって、LIVE全体にかなり大きく作用したんじゃないかと思いました。潤滑油とでも言いますか…しっかりエンジンがかかった感。少なくとも私個人には、公演を頭からおしりまで楽しむにあたってこの場面は大変強い影響がありました。
子供→お父さんお母さん→男→女→全員と、それぞれで会場の盛り上がりを聞いて、しっかりと煽ってもらって個人差はあれど声も出して、「あー!始まったんだなー!!」と改めて実感がやってきて…わくわくが注ぎ足されます。
すっかり鉄板の「バカになろうぜ」も、一時期聞けていなかったこともあって、やっぱり聞けると嬉しくなっちゃうものです。
余談ですが男性ファン本当に増えましたね。東京だからなおさら多かったのかな〜!「ついに男子トイレに列」というツイートも回って来ました!いや〜こうなってくると『男eighter限定LIVE』とかやりかねなくて怖い。
◆「ふりむくわけにはいかないぜ」への執念回収と「ライオン」カットと「LIFE」の繰り上げ
見出しが長いので先にまとめると、
・挨拶が入ったことで「ふりむく〜」の入りが落ち着いた
・「ふりむく〜」の後の「ライオン」がなくなった
・「LIFE」が「勝手に仕上がれ」の後から「ふりむくわけにはいかないぜ」の後に繰り上がった
↓順番に並べると
☆もんじゃい→ふりむく→ライオン→言ったじゃないか
↓から
★もんじゃい→挨拶→ふりむく→LIFE→言ったじゃないか
になりました。
執念と言うのは、私個人の話です。「ふりむくわけにはいかないぜ」が大好きなので、そいつの挿し込みどころが勿体ない勿体ないとずっと言っていました。もっと輝ける曲だと文句ばっかり言っていました(笑)
が、上述したヒナの挨拶と煽りを挟んでくれたことによって、ある程度その想いは回収されました。「ふりむくわけにはいかないぜ」党としては、やっぱりもっともっともったいぶってほしかった遺憾もありますが、でもありがとう…
①「もんじゃい」曲終わり→しばしの間→イントロのギター
②「バカになろうぜー!」→『イェー!!』→イントロのギター
①と②じゃ印象が全然違ったんです。挨拶がある分メンステやメンバーにちゃんと集中しているので、その中で聞くギターのイントロが何だかもっとロマンチックに感じられました。ヤスが弾いてるからより贔屓目です。
エイトらしい元気曲のターンからバンドシーンへ移行するにあたって、挨拶という慣れ親しんだ繋ぎが入ることで、地に足がついた状態で場面が移ったように思えたのでした。
生で聴いてもやっぱり素敵な曲で公演ごとに大好きになっていきます…歌詞の中の言葉のチョイスが何とも言えないんですよね…「ざわついた心 今夜でケリをつける」とかカッコよすぎてどうしようと思ってペンラ握りしめてます。
でもって「ライオン」がなくなりました。移動ではなくまさかのカット。
「ライオン」は冒頭のギターが安田担的にはおいしいですし(毎度ピンスポ当ててもらえるしね\(^o^)/)、良い意味でジャニーズらしくない曲(FIGHT出て一番最初に聴いたときは「ダンデライオン」の派生系かと思いましたよ…ドリフェスでもやっていたしアプローチ力のある曲ですよね!)の一つなので、なくなったこと自体は残念ですけど、今回のセトリや流れを思うとカットでよかったと個人的には思います。
恋しくなった頃にまた聴かせてほしい。
書いてて気付きましたが、「ふりむく〜」も「ライオン」も入りがヤスのギターなんですよね。それが続いたっていうのも、同じような演出が並んだように感じた要因の一つだったのかもしれません。
繰り上がってきた「LIFE」も、今ツアーにおいてはバンドサンドイッチの後半から前半に引っ越してきて良かったです。
「LIFE」がバンド曲の中の「ズッコケ」ポジションだとしたら、これからも毎年、入れどころ=効果的な曲順に苦しむことにもなりそうですが、近年すっかり「LIFE」慣れしたオタからすると、前半で消化する安定感はほっとするものがありました。ニズムでLIFE〆やりましたし。
◆殆どの映像に文字が入った
これは、キャンジャニ登場前の映像に色分けで会話の文字起こしが入ったり、キャンジャニ登場後の好きな人紹介VTRで飾り文字が入ったり…です。
それから、アンコールの「元気が出るSONG」でのメンバーの手書き歌詞。モニターに映すために一生懸命きれいに書かれた感が好きです。(ヤスはかしこまって文字を綺麗に書こうとすると漢字だけやけに縦長になり整った男らしい字になる癖があると思いますのでそういうのにキュンとする楽しみも増えました。)
もっと言うと、東京の初日は歌詞が出ている画面のバックに客席が映してあったんですが、二日目からはそれがなくなったんですよね。
メンバーカラーの文字色によっては背景に人物が映っていると読みにくくなってしまっていたので、そういった細かい微調整をしてくれたスタッフさんにも感謝です。「WASABI」前の映像も書体が変わってたりとか、何でロシアンルーレットするか表記されてたりとか。
余談ですが、私のフォロワーさんに、耳の不自由なご友人様がいらっしゃる方がいて(私自身はフォロワーさんとしか面識がないのですが)、そういった面でも会話文の文字テロップとかはあると良いものだなと後々思いました。
◆「オモイダマ」はなくなったけど「侍唄」が息を吹き返した
一気に終盤の話ですが、東京からは最後の曲だった「オモイダマ」がカットになりました。
これも「ライオン」と同じで、なくなったことは残念だけど結果としてはカットで良かったんじゃないのかなと思いました。「オモイダマ」すごく名曲なんですけどね……なんで売れなかったんだろうという話はやめます…
そして「ナントカナルサ」と「High Sprits〜勝手に仕上がれ」の間に突如挟まっていた「侍唄」が、最後の曲に昇格しました。ちなみに「侍唄」の前にはすばるの挨拶(※後述)があります。
上で「昇格」と書いたのは、本当に昇格したなと感じたからです。良い曲だし元々好きですが、順番が変わるだけでこんなにも歌詞やメロディーがぐっとくるなんてなぁ…と眉毛が下がります。「オモイダマ」の、ラスト曲の座に座れる貫禄には納得してましたが、「侍唄」にも十分その力があるということを、順番変更で実感しました。 引っ越し前の差し込み場所じゃ侍殺しだったよ…!
カットになった二曲についてですが、それぞれ、「オモイダマ」は2014年の印象、「ライオン」は2011年の印象が強すぎるのかなぁ。
秋にアルバム発売→それを引っさげた冬ツアーがここ数年のルーティーンですが、考えてみれば過去アルバムのアルバム曲を発売年でないツアーで何曲もやるのって、不思議なのかもしれない。その年に発売したアルバムのアルバム曲から、その年のツアーセトリに漏れるものだってあると言うのに。
思えばJUKE BOXの初日にも、「ライオン」とか「Waterdrop」とか「Dye D?」やったから「えっ、ファイトコン??」ってなった気がします。
そういった意味合いでは、本編ラストに座った「侍唄」はとても2015年感があると思います。まあ今年のリリースなんだし当たり前なんですが。きっと、来年再来年、近い年のLIVEではラストになれない(なったとしても今年ほどのムードが感じられそうにない)から、「ああこの曲は今のエイトが歌っているんだな。現時点での彼らこうなんだな」と、すばるの挨拶をふまえて聴いていると沁みてきます。
挨拶のことについては下に。
◆すばるくんありがとう
札幌で最後の挨拶を聞いた時は、ぶっきらぼうとまではいかないけど誤解を招いてしまうような荒削りの挨拶でしたけど、それを東京では日に日に食べやすく噛み砕いてくれていて嬉しかったです。分かりやすい方が、ちゃんと伝わるから嬉しいんですよね。
今年のLIVEはこんな感じ。これが今の自分たちのすべて。できることのすべてで、できないことはできないからやってない。でもこれからできないことをなくしていけば、もっとかっこいいグループになれる。確かに恵まれてはいるけど、自分たちはいつだって満足していなくて、上には上がいる。もっともっと良いグループになるために、これからも上だけ向いてがんばっていく。だからついてきてください。
内容はこんな感じでしたよ。聞きたかった言葉がいっぱいあったなーと思います。木→金→土→日と、どんどん素敵な挨拶の時間になっていったように思います。
挨拶の途中、すばるが「俺らはやっぱりずっとコンプレックス持ってやってる」と話していたんですけど…
エイトとエイトオタにとって、コンプレックスからくる反骨精神およびそれに付随する這い上がってきた感みたいなもの、切っても切れないものの一つなんじゃないかと思っています。いやもちろん私のイメージでしかないんですけど。
ジャニーズなのにデビュー会見がレコード会社の屋上という、生涯語られるであろうエイト苦労エピソード話不動の王様。雨漏りするスタジオと消費期限切れた飲み物がセット。松竹座で人入ってないのにスタッフさんが満員御礼札貼ってくれてたとか。オタだってレイニーがオリコン1位取れなくて「あゆだから仕方ないよ」と慰めあったりしました。
実際売れてなかったし、YJ発足した時もオマケ扱い(当時の感じ方です)されてて、関ジャニ好きって言うと大体「えー」と小馬鹿にされることが多くて、安田くんが好きと言ったあかつきには「誰?」と言われるのが私にはお決まりのリアクションでした。
エイト担は宗教っぽいとかヤンキー系が多いとか言われることがあります。……そうだなって思います(笑)
中卒で高校中退で大学とか誰一人出てなくて、家庭環境が色々あったりなかったりで、そういう決して優等生ではないところや背負っている背景も含めて好きで、今の活躍に至っているところにも良さを感じていて、そういうのひっくるめて魅力になっているところにぐっときたりもしていて…???
どのグループだってグループごとのたくさんの苦労を味わっているから、エイトだけが特別苦労してきたわけじゃないでしょうけど、苦労話には弱いんですよねぇ……五万五千人をドームに集めながら、本人たちの言葉で「コンプレックス持ってやってる」と聞かされるとなんとも言えない気持ちになりました。
それでもって聴く「侍唄」が良くってなぁ〜〜どの時代も越えていけるよ〜〜〜
すばるが涙したらしい(ヤスを双眼鏡ストーカーしていた私は残念ながら見られなかった)20日公演に至っては、ぼんやりとした言葉でも表せないほど私は感慨深い気持ちになっておりました。何でだったのか…酔ってたのかもしれない……楽しかったし、かっこよかったし、本人たちもとても楽しそうでした。
私はダンスが好きなタイプなので、しつこいとは言えやっぱり今回のツアーに対しての全然踊らないなぁ感を拭うことは出来ないけれど、来年はもっと踊ってほしいと今からお祈りはじめるけど、今年はその分、公演がどんどん良くなっていっていることに対してのわくわくを見出していこうかなと思っています。MCが楽しくなるのもこれからな気がしますし。
あとはやっぱり、札幌行ってよかったとも改めて思います。むしろ行かなきゃよかったと思った公演とか私のジャニオタ史においてなかったや…単純…
そういえば、アンコ終わりで最終的にはける時(ステージのセット閉まる時)のすばるの「あーっ!」みたいなやつがかわいすぎてどうしようもないですよね。なんだあれかわいい!
オタも「あーっ!」(すばるがかわいいことに対する悲鳴)ってなってて何とも言えない時間…
あのすばるがかわいすぎて、お陰で終わった瞬間はいつも素敵な気分です。残りの公演も全部やってほしい!!!
良いまとめ文句が思い浮かばないのでここで唐突に終わりますが、公演を振り返っていたら、ヤスのここが最高だから見てくれ!!!的なものが書きたくて仕方がなくなってきたので、それはまた別の記事にしようかと思います。
まだ書いてないけど記事のタイトルだけはもう決めました!『フードをはらうという振り』です!
おわります。
忙しいあんたが大好きだけど(元気コン初日感想)
完全にネタバレです。そして長いです。
日曜日、元気が出るLIVE!!の札幌公演に行ってきました!ツアー初日!
今回の公演を見てきて、これは感想を書こうと思いました。考えていることを文字にすると、頭の中が整理されるので、私は今とても頭の中を片付けたくなっているんだと思います。
(もちろんアタイ鏡の話ではありません)
※くどいようですが色々とネタバレします。
※「良かった点」も「良くなかったと思った点」も書いているので、公演に対しての否定的な意見を目にされたくない方にはおすすめしません。
これは、とてもめんどくさいオタクのひとりごとです。
私はこの世の中に大勢いる安田担の内の一人です。特別な観察眼があるわけでも、エンターテイメントに携わる仕事をしているわけでも、音楽をかじっているわけでもありません。
だけど関ジャニ∞のことはものすごく好きなので、やはり好きなものに対しては考察したくなったり熱くなってしまったりします。ファンとしてジャニオタとして「楽しむ側」として感じたことを書こうと思います。
(ビジュアルなどは全体的にすごくよかったので触れません。大倉くんとかホントCGみたいで美の暴力が過ぎるなと思いました。)
さて元気ツアー初日、総合的な感想は「楽しかったけど、なんかもうちょっとほしい」でした。その「なんか」が何なのかを片付けたくなったので、これから一ヶ月続くツアーをめいいっぱい楽しむためにも、東京公演の前に感想をまとめておこうと思いました。
今回のセトリや演出など、どんな評価や意見が多かったんでしょう。ツイッターでは、最高!という感想も、微妙!という感想も目にしました。自分の思いがマイノリティー寄りなのかどうかあんまり掴めません。
初日に行ってきて、私が心に「なんか」を散らかしてしまったのは、決してつまらなかったと言うことではないのです。
ツアーが終わって振り返った時、「初日公演が一番良かったな」と思ったことは、私はこれまでに一度もありません。だけど初日が大好きで、オーラスの次に必ず抑えておきたい公演でもあります。
コンサートや舞台の初日には、「みんなが初めて見るもの」というとてつもないワクワク感があります。それは、年に数回しか味わうことのできないかけがえのないワクワクです。このワクワクだけは、2回目以降の公演ではどうしても味わえません。
初日って色々と荒削りですよね。前述した通り、初日がナンバーワンのクオリティで終わるツアーはないと思いますし、初日ってそういうものだとは思います。今年も十分楽しかったんです。それなりに驚かされもしましたし。
同じ言葉を繰り返すばかりで芸がないですが、初日ってそういうもの。それを踏まえても「なんか」がまだ胸を掠めるのは、単に私が勝手にしょんぼりしてしまったところが多かったというイメージです。
リサイタル静岡公演でキャンジャニを一度見ていたことと、ドリフェスに行っていたことも、私の中から少なからず『初日の醍醐味である新鮮み』を奪っていたとも思います。それはただただ自分の問題ですが。
◆はじまった!!!んだけど…
何が来るのか、そわっそわの一曲目。暗闇で「キングオブ男!」が流れた時、私の中は「えっ!マジで?!」感でいっぱいになりました。近年イチの一曲目に対する驚きでした。
どんな経緯でこの曲になったんだろう?いや、オブ男自体はすごく好きだし、最も売れたシングル曲ですから今回もセトリに入るかな〜とは考えていたけどまさかの一曲目。
そういう「裏切り」が良く作用するか、はたまたそうでないかは、前後の演出との繋がりだったりするのかなぁ……と私は思うのですが、OP映像がエイトの和気あいあいとした空気感であり、二曲目が「へそ曲がり」だったので、結果的にはそんなに効いてこなくて、どちらかと言えば後者になってしまったかな。
勿論「へそ曲がり」が悪いのではありません。好きだし、知らん人にも聴いてほしい曲の一つです。振り付けがちょっとダサいけどそのダサさも含めていいと思っています。
オブ男→へその流れを最高だと感じる方もいらっしゃるわけです。じゃあ何ならお前は納得するんだと言われたら、恥ずかしながらパッとは答えられません。でももっと違うアプローチを受けたかった気はしていました。
毎年のツアーを、私は前年のツアーと比較しがちになってしまいます。ニズムで一曲目に「EJ☆コースター」が来るのは沢山の人が予想していたと思いますが、アルバムのリード曲でしたし、実際、少女が本の中に広がるテーマパークで色々な物語を楽しむ…といった雰囲気に自然と沿っていたように思います。分かっていた分、そういう「裏切り」はなかったけど、それはそれで良かった。
今回のLIVEの幕開けが思った以上に自分の中ではしっくりきていない=スタートダッシュに乗っかれなかったのは、自分でも自分がすごく残念でした。東京からは乗り遅れないようにしたい。
今ぱっと思い浮かんだ、のっけからめっちゃテンションが上がったLIVEの冒頭は8ESTのドーム公演かなぁ。金太郎飴からの拍手映像→「あおっぱな」の流れです。特に元旦の京セラ公演。Bメロで、前日の紅白でやってきた「女ソーラン」か何かのフリを会場全体でやった時は楽しすぎて涙が出るほどでした。大晦日公演の「いってらっしゃい!」「いってきます!」があったから尚更良かったと今でもジーンとします。
今回も冒頭からハッピーなところもありました!オブ男前、リアルタイムでの円陣中継を入れてくるあたりがオタクのツボをおさえている…ありがとうございます。エイトの円陣がね!好きなんだオタクは!!
開始から数曲だけでも、並べてみるとエイトの曲はすごい。本気と書いてマジと読む男でへそ曲がりだけどがむしゃらで、前向きでなんぼのもんじゃいで………確かに元気が出る曲づくしだ。元々の「元気」に慣れ過ぎて、私は知らぬ間に「元気」のハードルを上げてしまったのかな……。
◆もし曲順を一カ所だけ入れ替えられるとしたら、絶対
「ふりむくわけにはいかないぜ」と「LIFE」をチェンジ!!!!
ここは本当なんて勿体ないことしたんだと思いました。無駄に熱が入ります。
「ふりむくわけにはいかないぜ」、私は今回のアルバムの中で一番好きなんですが、アーッここで消費しちゃうのか……という大きめのしょんぼり感がありました。
サンボマスターさん特有の、剥き出しの全力感とキザとは違うカッコよさ(イメージです)がぎゅっとしていて……それをエイトが歌うことで、もう涙が出てくるような気合いが入る曲。
もっともっとためてほしかった。ためてためて、終盤のバンドで会場が沸騰している中で『絶対!絶対!』って聴きたかった。
聞き慣れた「もんじゃい」と「ライオン」に挟まれて窮屈に感じてしまったんです、何だか。この曲がようやく生で聴けてうれしいのに…!あー!でも本当もっと輝けたはずと思うんだ!
レコメンで、この曲は難しいからバンドでやるか分からない(ニュアンス)と言っていましたけど、せっかくバンドでやってくれて嬉しかったのにな。くどいようだけど差し込み場所が勿体なかったです。一番そう思ったポイントです。
◆勿体ないところに挟まった気がする曲その2
2つ目は「Heavenly Psycho」なんですけど、これも場所が勿体なかったような。
亮ちゃん編曲で、すごくおしゃれで亮ちゃんらしさがつまっていて、それぞれの見せ場もありそうで、生で見るのが楽しみでした。
以前友人らとツアーの曲予想をしていて、ちなみに私はヘブンリは「絶対最後にやるよ」と言い張っていました(全然違いました)。
何故なら、今回新たに編曲されたとは言え、アンサーソングがあったり、最新シングルに編曲して収録されたほどメンバーにもオタにも大事にされている(と私は思ってる)曲ですから、披露するのは言わずもがなで、且つしかるべき席に座る曲だと思い込んでいたのです。
前回「Heavenly Psycho」をやったのは十祭だったと思いますが、野外だったから一層ムードがあって何とも言えない感動を誘いました。
近年はもう、古い曲をセトリに混ぜてくれるだけで「ああ好き!!!」ってなるチョロいオタクなので、今回もそれなりに感動したんですが、セトリジェットコースターに乗っていたせいで育てた余韻を回収しきれなかった。これも自分の問題なんですけどね…。
でも、だって、
『バンド続きでバーン!』→
『しっとりと懐古』→
『オッケー声出すぞ!』
って言われても、色々と気持ちが追いつかなかったんだ…切り替えが上手くいかなくて……ソイヤソイヤするのは楽しいけど、「あらっここで?!」と戸惑いながらのソイヤソイヤになってしまった。前にも、どこかでこんなふうに思ったことがあったような気がします。
「ズッコケ」は、エイトコン不動の定番曲ですよね。エイトにとってもターニングポイントの曲(ZIPか何かでも言ってました)。
ずっとやってても「無責任」と比較したら文句言われないし(笑)これからも毎年やってほしい曲です。が、もっと効果的に使ってほしい曲・もっと効果のある曲なはずなのです。
「ズッコケ」をやるからオタのテンションが上がるんじゃなくて(いや上がるけど毎年ブンブンしている分免疫も出来ているので)、テンションが上がってる流れでかかる「ズッコケ」が最高に楽しいです。メンバーにもオタクにとっても「やらなきゃいけない曲」じゃなくて「やらないとはじまらない曲」であってほしいなと思います。
◆なんとまさかのキャンジャニちゃん!
まさか出てくるとは思わなかった…本当にありがとうございます…私はこのためにチケット代を支払います。三十路男性アイドルのJKコスプレを拝むために各地方へ飛びます。
ああ…ノーメイクなのに安子の仕上がりたるや…(完全に贔屓目です☆)腹チラと言うかへそチラが気になっちゃって、もう少クラ見ながら練習してきた「バリンタン」踊るどころではなかったです。そうそう、「バリンタン」をキャンジャニでやるという「そうきたかー!!!」感(嬉しい方)。
ちょっとぐだぐだっとした映像(※後述)を挟んでの「夏の恋人」への流れは最高でした。一度は想像していたけどまさか!的な嬉しいサプライズ。初カウコンの「マーメイド」とか、春コンの「愛してる愛してない」とか、それくらいの良いハッピー感がありました。想像つかないことが起きた時のハッピー(ビーストのふんどしとか、ヨコのトランペット初お披露目とか)とはまた違う、ミーハー心をくすぐられる感じがたまらなかったです。
ジャニオタである幸せを噛みしめた!関ジャニ∞好き!!ってなった。
「Heavenly Psycho」を除いて、今回唯一のカップリング曲枠(違ったらすいません)な「夏の恋人」。
歌詞が「CANDY MY LOVE」とリンクしているので、間に「バリンタン」と映像を挟むとは言え、表も裏も楽しめる!はやくもう一回見たいです。見てないひとにもはやく見てもらいたい場面!
衣装も良かったし、振り付けも一昔前の歌謡曲チックな雰囲気と合ってて、みんなでぎゅっと集まるかわいさもあって、それぞれの見せ所もあって。ミニ花火の演出も楽しかった!
キャンジャニちゃん映像での『ハートをくれるかな〜?』の前フリに対しての『僕があげるよー!』への繋がりも大好きです。
◆映像のあれこれ
後述、と括弧した映像なんですが、楽屋のやつかわいかったです。
好きな人紹介コーナーもかわいかった。歌舞伎はすべったけど、ヤスが映像ですべるのには、安田担というかオタはもう慣れてると思うし背中のきれいさに両手を合わせて天を仰いでいたので気になりません。カツ丼とカレーのくだりは懐古厨にもやさしかったです。
上で書いたように、OPもかわいかった。後半のワサビ寿司(毎回ワサビ当たる人同じかな?違うといいな〜)も面白かった。
ただ、全部あんまり凝ってないな〜とは思いました。例年に比べての話です。
凝った映像をつくる時間がなかったのかな。好きな人映像は、殆どが白ホリだったよね。素材がいいので十分かっこいいんですけどね。もっとお金かけてもらってもね。いやお金があってもきっと時間がなかったんだよね。
映像は、衣装替えなどの「つなぎ」としての役割がまずあると思いますが、それは次のシーンへの「導入」(および前場面の回収)と言うことでもあって、ステージ上に本人達がいない場合が殆どだから、凝った映像が見れたらもっともっと嬉しいです。
◆且つもっともっとかわいい衣装がみたい
衣装替え、と書いて思い出しましたが、衣装が惜しいとも思いました。冒頭に書いた「なんか」にこれも確実に入っている…。
ヤスを見ていることが多いので、全員分きっちり見ていないけど、あんまりかわいくなかったような……キャンジャニちゃんのセーラーと「夏の恋人」のお衣装以外に「これは!!!」というものがなかった。最近ずっとそう。もちろん良いお衣装もありますが、良いやつの方が少ない気がする。
まあ、これはことさら好みの問題の極みでしかないんでしょうけど…。
最初に出てきた時の衣装を見て、「あの柔道着を作られた方のデザインかな?」と思わざるを得なかったよね。FIGHTの頃のアー写とJBのダンスパート衣装とTAKOYAKI〜のMV衣装を足して割ってキラキラさせた!!みたいな、あいまいな既視感を覚えた。
悪いんじゃなくて、あ〜〜もっと他にないのかな〜〜〜と思ってしまうしょんぼりです。近頃衣装が色々と似てるのかもしれません。
上着脱ぐことで変わるのってどちらかと言えばマイナーチェンジだから、あれっ今回衣装替え少ない??と言う印象も残りました。実際少ない方だったかな?
エイトって良いお衣装ほどすぐ脱いじゃうのは何故なんだろう。
◆ユニットの演出
ユニットコーナーすごく好きでした。
「乾いた花」は元々曲がいいというのもあって、カッコよくも楽しそうに演奏するヒナとすばるにぐっときたし、二人の表情もものすごくよかったです。いきいきとしてた。
改めていい曲だなぁ……セルフカバーだけど、全員版とアプローチが全然違うから違和感ない上に新鮮みもあって、音源で聴くよりもっと素敵でした。MCからああいう風にユニットコーナーに繋げると思わなくて楽しかったし、あのずるっとした空気がヒナとすばるの関係性に似合ってた思いました。
「バナナジュース」は、トランペットもそうだし、亮ちゃんのサックスまで見れるなんて、ものすごいお得感です。衣装はシンプルだけど、色薄いサングラス含めスカのおしゃれなイメージと合ってました。何だか漫画のキャラクターみたい。
メンステ左側だけでやっていたけど、会場全体にひろがっていくような盛り上がりも感じておりました。楽しかった。
関ジミもかわいかったです!三十路のランドセル!
三人がランドセルをしょって出てきた瞬間が頂点だったので(ある種の出オチ)それ以上のサプライズ感や、衣装に伴った演出がなかったのがちょーっと物足りなかったけど、かわいかったからいいや^^
若い頃は大人っぽいことをしていたのに(モナコ)、三十路にして小学生になるとは…。かわいかった。大倉くんのお尻のパツパツ感を目の当たりにできるLIVE感も十分です。
シャツの英字が三人とも違っていて、青文字と赤文字に何か意味がありそうな気配はしてたんですがメモしわすれました。
ユニットとは違うけど、その後の「LOVE&KING」も普通に楽しみました。(村上担じゃないやつがKINGが今年も登場したことについてどうこう言うのはうるさいだけなので、特に言及致しません。)
曲順として、セトリをトータルで見たらユニットの後で良かったんだなと。
今回の公演はダンス曲が少ないから、ここでエイトがバックダンサーとしてヒップホップダンスを踊ってくれたこと(個人的にはヤスのダンスが見れたこと)に、ダンス担の安田担はすごくすごく救われたと思います。あそこのヒップホップダンスの身のこなしで安田担はうまい酒が飲めると思います。
◆勿体ないところに挟まった気がする曲その3
これは「韻踏ィニティ」です。この勿体ない感は、去年の「RAGE」がトロッコ移動・お手ふり曲で消化されて勿体なかったのと同じ種類の感想です。
バクステに行ったらメンステに戻らなくちゃいけないのは分かる。しかしこいつは演出次第でもっと好きになれそうな曲だった(どんな演出でくるかを楽しみにしていた)だけに、そんな気持ちを拭えなかったやつです。
「ナントカナルサ」が曲調的にも移動曲になるのは予想がついていましたが、「韻踏ィニティ」はちょっと予想外でした。
◆ダンス曲の亡霊になる
LIVEでのダンス曲は自分にとって最大のご褒美なので、「韻踏ィニティ」の途中までと、その前の「WASABI」だけじゃ満足できませんでした。もっと踊ってほしいよ…。
どうして年々LIVEツアーで減少傾向にあるダンス曲を、今回更に減らしてしまったのかと泣きました。
私はヤスが踊っているところが一番好きです。コンサートで最も息を潜めている瞬間がそれです。余すことなくあの重心の低い自分好みのダンスを見つめたいがために五万円の防振双眼鏡を買ったほどです。
そういう風に、上手下手・得意不得意に関わらず、担当が踊っている姿が好きな方はとても多いと思います。安田担が「ダンスが少ない」と文句を言うと、=「踊りが不得意な人がいるせいで、踊れる自担が踊れない」と思っていると言われることがありますが、違う…そういうことじゃないんや……。
そもそもエイトは、例えばV兄さんやJUMPちゃんのように「踊るグループ」(詳しいわけじゃないのでイメージですが)じゃないので、いっぱい踊ってくれたらめっけもん!くらいに思うようにはしています。
でもせめて二曲は!お願いだよ!!
「せめてがっつり二曲」は私なりの切望のボーダーラインです。贅沢なのかな。
確かにエイトはダンスグループではない。フリ揃わないし、メンバー内で身長差があるから揃ってるようにも見えにくい。日頃踊ってないのに、三十路でみんなしんどいよね。忙しくてリハの時間がないんだね。昨年エイト史上最も難易度の高いマスピ(パンフに書いてたはず)を踊って、だけど昨年より立て込んでいる今年に昨年を上回るダンスパートを消化するのは非現実的だったんだね。
踊るグループでないのはわかった。わかっていました。わかっていましたけど、でもジャニーズアイドルじゃん…!基礎があるから全然踊れるって…上手い下手じゃないんだって……
何でもするから、せめてLIVEツアーではまだダンスをあきらめないで踊ってください!!!チケット代倍になったっていいから踊って!!いっそまた「ブリュレ」でも妥協するから!「Explosion」で大好きなエアギターのフリはもうマスピにあげるから!「ケムリ」やんないかな〜とか夢みたいなこと言わないから!TVでダンスメドレーやってほしい〜とか寝言言わないから!という気持ちで床を転がりました。
◆「侍唄」以外のバラードの不在
なんだかセトリに横槍入れてばかりのこの感想まとめですが、「強く強く強く」はこのまま未披露シングル曲になりそうですね。もし今回のどこかに入れるとしたら……ヘブンリの後かなぁ……でもその後ズッコケだもんなぁ…うーん。
「侍唄」もそうだったけど、エイトのバラードは売れない傾向にあるので(毎回発売時期が悪いとか二種売りだとか色々あるけど言い出したらきりがないのでここでは割愛)、売れた曲と比較するとあんまり愛されない気がしてる。
でもLIVEで披露すると昇格する曲もよくあると思います。「オモイダマ」とかそうですよね。
今回「侍唄」以外にバラード曲がなかったのは、「元気が出るLIVE」だったからからなのかな。いやまさか…「スペアキー」はアルバム曲だし。
近年、LIVEにおけるバラード曲が3人/4人ずつのお着替えのターンを繋げる役割を果たしていることが多いですが、衣装替えも少なかったし、入れどころがなかったんだろうか。
余談ですが「スペアキー」をやらなかったことで、マシコタツロウ担の友人は死んだような顔になっていました。
「侍唄」は最新シングルですから、さすがにやってくれて良かったです。入れどころはこれまた違うんじゃないかなと思いましたけど(「侍唄」からの「High Sprits」もかなりジェットコースター!)、今回限りで済んでしまうのは惜しい良い曲だなと思います。
やらなかったと言えば「ナイナイアイラブユー」も。
私は「青春ノスタルジー」の親戚呼ばわりしてたんですが(悪意ではなく)、それはスタンドマイクで踊る+ヨコのトランペットでくると想像していたからで……やらないとは考えもしませんでした。これもいつかどこかで見れたらいいな。
◆「バンドサンドイッチ」の下の方
セトリで、バンド曲が前半と後半に置かれているパターンはよくありますが(それを勝手に「バンドサンドイッチ」と呼んでいます)、「侍唄」の思わず瞼を閉じたくなるような後味からのあの流れは濁流すぎた。
「ハイスピ」→「勝手に仕上がれ」は元気CDイチの盛り上がり曲だと思います。
実際LIVE見てもそう感じました。かっこいいの氾濫だし、ニーニー言うのもうめっちゃ楽しい!!マルのベースですごくテンションが上がる!Mステでも披露して、ドリフェスでも良いところでやりましたから、エイト的にも実力を曝け出せる勝負曲なんじゃないかと思います。
数行上で「濁流」と例えたことを追記。
さて私は、これからラフティングをするのでボートに乗って出発したばかりです。が、心の準備が済んでない内に濁流ゾーンに放り込まれて、えっ!楽しいけど!楽しいけど!ウワー!ちょっと待ってー!そして気付いたら終わっていた……みたいなことです(?)。煽りがなく落ちるフリーホールのような?
多分、私は、徐々に川の流れが速くなってきて向こう側にいよいよ本番のエリアが見える…来るぞ…来るぞ…キャー!!!って言うのが欲しかったんだ。じわじわのぼって、もうすぐ落ちるよー!落ちちゃうよー!って言うのが欲しかった。
例えてばかりじゃ意味不明なので、一緒に入ってた友人の言葉を借りて言うと、『出来れば、聴いたことのない音が聴きたかったな』です。
それはバンドへの導入のセッションを指す言葉であり、一つ二つと音が増えていくあのわくわく感。いや「ハイスピ」がまさにその導入なんですけど、既にCDで聴きまくっているから、突然のように思えてしまった。
曲が終わり、演出が切り替わり、衣装が変わり、フラットな状態であの低音が聞こえて来たら、自分の求めていたラフティングになっていたんでしょうけど、「WASABI」からの流れの先に今回のメインディッシュがあったことで、私はお口直しをしそこねました。それ自体はものすごく美味しかったんだけど。
あっ、全体的にバンド演奏の上達が私のような素人耳でもちゃんと感じられたことは、本公演のすてきなお土産でした。ジャムによる技術向上の賜物ですね。関ジャニ∞バンド上手いんだよ!!!ってお知らせして回りたくなります。
◆ツアーテーマと『ストーリー性』について
今回のツアーにおける「元気」って何だろうと、面倒なことも考えています。だってエイトのツアーって毎年元気だなって思うんだもん…。
仮に、笑顔や勢いやがむしゃらな感じ、パワフルさやエネルギーみたいなものを「元気」とするとしたら、それはいつもそうだからなぁ(二回目)。
そういえば、今回の舞台セット。善し悪しと言うよりは、単にシンプルだと思ったんですがどうでしょうか。
メンステの上にツアータイトルロゴがばーん!とあって、左右に長く画面が広がっていて。大階段とか、段差みたいなものも特にない潔さ。ムービングステージと、センステとバクステ。三角の外周は珍しかったのかな。付属にトロッコと気球。
あ、フロートがなかったのは少し驚きました。ここ数年はずっとあったと思うんですが、今回なかったことに意図はあるのかな?
個人的にはフロート好きで、パッチの時あのワーゲン風のフロートが走ったり、去年のツアーだとテーマパークがコンセプトになっていたから汽車?が走ったりして、世界感補填的役割とでも言いますか…。
うーん恐らく、私はエイトコンに『ストーリー性』を求め過ぎなんだと思います。つらつらと感想を書いてきて気が付きました。
曲やコーナーの一つ一つは良くても、総体的に捉えた時にどこか物足りなかった。起承転結がうまいこと入ってこなかった。いつもより、曲と曲の繋ぎが雑だったように感じられた。
アルバムを通しで聴いた時の満足度が高かったから、尚そう感じたのかもしれません。
昔と違って曲が有り余り、やりたいことをやらせてもらえるようになって、光も水も火も使い、演出の幅が広がり、見る側の目も肥えてきたと思います。いや、肥えたと言うより、意地が悪くなってきました。
実際、私は一度やったことを再提示されると不満だと思った。今回のツアーで言うところの、『2年ぶり2度目の「ライオン」のムビステ発進』ですね。「そんなすぐ同じことやっても」ってなったやつです。
曖昧な例えですが、私はLIVEに『ストーリー性』を求めるあまり「ライオン」を見て「この展開こないだ読んだな」となり、終盤の「LIFE」で「あ〜やっぱりこういうトリックだよな」となり、「韻踏ィニティ」を見て「えっこの人こんなあっさり殺しちゃうの?」となり………もう自分が面倒くさいんだなぁと改めて分かりました。
ツアーに対する意識をこじらせすぎたし、そしてこれからもオタクである限りは、こじらせてツアーを巡るんでしょうね…(書いてる内に諦めがついてきました)
……なんですが。
ちょっとストーリーが合わなかったかな?って時、そのしょんぼり感を埋めてくれるものが他にあると思っています。構成が好みでないと思ったツアーは他にもありましたし。セットがシンプルなだけで公演がつまらないなんてことはありません。
埋めてくれるもの、それが十分でなかった。だから「楽しかったけど、なんかもうちょっとほしい」になった。切り取って見るといいのに、総合的に見た時の相乗効果があまり起きなかった。
私としては、エイトの『全力感』ですかね。
その不足を感じてしまったのは、今回ダンサーさんがいなかったせいでもないし、セットがシンプルだったせいでもなく、単に「いつもの初日以上に練習が行き届いていない」という簡単な理由。もっと素晴らしい彼らの全力感を私は知っているんです多分…。
誰がどうとまで覚えてませんけど、歌詞抜けや間違いも多かった。近年力を入れていたダンスパートがあっさりしていたのも、先にダンスについて言及した通りきっと練習する時間があまりなかったんだと勝手に思います。
◆そして辿り着く「忙しいんだね」という結論
うっすら気付いてたけど、やっぱりそうなんですよね。
映像があっさりしているのも、ダンス曲が少ないのも、仕上がりが悪い部分があるのも、モニターで歌詞見まくっているのも、忙しくて時間がないからだ……ジャムのように作業量の多いレギュラーもあるし、他にもたくさんお仕事しているし。
きっと今が、関ジャニ∞史上最も忙しい中でのツアー……。47とは違うベクトルの多忙。
だから「しょうがないよね」と私が妥協するのは、正規のチケット代と手数料を払ってコンサートを観ている身なので違うと思いますけど、エイトが今かなり忙しいんだと言うことが本当によくよく分かりました。そういう初日だったのでした。
(かと言って毎年の初日が完璧というわけでもないですが……)
なるほど、こんだけ忙しいと、ツアー初日に不十分がこんなに滲み出るのか。これはどうにもならないことなのかな…。
でも、レギュラー番組もその他のお仕事も、一つも減ってほしくないに決まっています。数字が取れない呪いにかかっていることがとても悔しい。彼らの実力がもっと世間に認められてほしい。
でもでも、LIVEだって更に全力でやっている姿が見たいです。もっとできると思うんです……もっと素晴らしい公演ができるグループだと思います。
最後の挨拶、今回はすばるでしたが、メンバーを代表した最後の挨拶ですから、極端な話メンバーの総意だと考えた場合はちょっと寂しさもありました。
すばる担の友人も同じような理由でなおさらしょんぼりしていましたが、口に出すことにはその場の勢いとか空気感とかもありますから、そんなに深く考え込む必要はないとも思っています。決して「できないことをやらない=努力をしない・向上心がない」と捉えたわけでもないです。
「できることを全力でやって」、それでいてやっぱり「できないことにも挑戦してほしい」し、あわよくば「できないこともできるようになってほしい」。そういう歌を沢山歌っているエイトだからこそです。
エイトはだんだん年をとっていくのに…そしてどんどん忙しくなるのに、常に過去よりも素晴らしいものを求めるのは正しいのかどうか分かりません。でも、我々オタクだって、仕事して、年を重ねる程どんどん仕事量が増えて任される事も大きくなって、それでも徐々に慣れていくために励むわけで???
何を言いたいんだか混乱してきましたが…
初日はスタートラインですから、ここからオーラスに向けてどんどん良くなっていくことは分かって(信じて)います。もっと忙しくなる年末年始に、もっともっと全力で歌って踊って演奏してくれるツアーに成長してくれることを楽しみにしています。
自分が「なんか」を抱いた理由は一応解決しました。結局ツアーにおける「元気」がぼんやりとしたままなので、オーラスが終わった後には、それが見つかっていたら良いなと思います。
ちなみにアンコール前、一緒に入っていた友人たちと「おい!今回無責任歌ってないぞ!」 とざわついていたら、気球タイムで見事に流れてきて爆笑いたしました。
それでは、もし長々とお付き合い下さった方がいらっしゃいましたら、誠にありがとうございました。
舞台『ジュリエット通り』が大変だった
完全にネタバレです。あと長い。
ツイッターに載せたものを、こちらに持ってきてみました。誤字脱字はなおしませんでした、すいません・・・
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現在シアターコクーンで公演中の舞台『ジュリエット通り』に何度か足を運んでいます。非常に主観的な感想、解釈、登場人物に関するまとめをメモしました。
ちなみに舞台を観劇するのは今年のIf or以来でした。その前もIf orで、その前が多分BOBで、その前はやはりイフオア…あとはもうギルバートとかSHOCKとかドリボとかエイトの舞台ばかりで、つまりジャニオタでしかない観劇歴(という言葉あるのかも知らないけど)です。
そのため舞台や演劇に関しては素人極まりないのですが、今回、安田くん3年振りの主演舞台『ジュリエット通り』を観ての感想や胸の中に残っているものを、ひとまず文章にしておかないと\難しかったなぁ…!けど安田くんがんばってたー!/で終わってしまう気がして、それは非常にもったいないと思えるほどの衝撃をあたえられはしたのです。
(安田くんの舞台は毎回行ってるので本作のニュースが出た時は正直「またそういう役かい!」と思いましたwすいませんでしたwwけど良かったです!)
さて月並みな言葉ではありますが、登場人物がとても印象的なキャラクターばかりなので、登場人物についてと彼らの行動・結末を記しながら自分なりにまとめていきます。間違っている部分もあるだろうし恐らく言葉もおかしいですがその辺りはスルーしてください…。
舞台全体の感想は多分いちばん最後に書きます。
あと、全然分からないとこも後ろの方に書きますので「アレこういうことだったんじゃない?」って見解がございましたら是非リプライ等いただければ嬉しいです!誰かと共有しないとわからない><
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〜その① 物語の舞台について〜
街はずれに娼婦館が残る土地。高級娼婦館『枯淡館(こたんかん)』と、その向かいに建つ『田崎家』の邸宅。それらに挟まれた道・通称『ジュリエット通り』。場所・舞台のセットとしてはその三つが殆ど。
※『ジュリエット通り』の名前の由来:昔(現在の『田崎家』が建てられるよりも前)、枯淡館の向かいにはとある会社の寮があり、枯淡館には「ジュリエット」と呼ばれた娼婦がいた。寮に暮らしていた貧しい男は、たった一度だけ買った娼婦「ジュリエット」に恋をしていた。男は「ジュリエット」が通りに現れるのを待ち、眺めていた。その内に「ジュリエット」は金を盗み、男に自分を買うよう金を渡した―――。そんな話の名残りで『ジュリエット通り』と呼ばれるようになった(はず)。
物語が繰り広げられる街一帯の土地は、主人公「太一」の父である「田崎」が持っている土地だが、『向こう側の街』は別の地主の土地であって、この街にある「田崎」の権力や地位といったものは特に発揮されないし、「田崎」自身も『向こう側の街』には行かない(行けない?)様子。また、『向こう側の街』にも『枯淡館』に似た高級娼婦館『流浪館(るろうかん)』がある。
まず長いし暗い、という印象を持つなという方が無理だった。舞台セットも服装も概ね落ち着いた色で一昔前のような雰囲気が漂っていて、でも「LINE」とか最近の言葉も出てくるしやっぱり設定は現代。初日を観た時はとにかく難しかったこともあって、設定が現代というのがどうもしっくりこなかった。現代という割に何か古くない?みたいな。けど二回目以降は、「自分の住んでる世界と違いすぎてるだけか…」と、印象が変化しました。一昔前のような雰囲気=廃退した雰囲気と頭の中で思うようになり、登場人物の普通ではない心理状態と重なっていく感じで、最終的にはあんまり気にならなくなった。まあそら高級娼婦館なんて、ただのジャニオタである自分が知っているはずもないし、シープ乗り回して戦争について言及している人達に出会ったこともないので、その辺はピンと来なくて当たり前かも。
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〜その② 登場人物の考察と結末〜
【田崎】
物語の舞台がある街の一帯の地主。父親の残した広大な土地と、莫大な財産を持って暮らしている。枯淡館の向かいに立派な邸宅を構えた。一人息子である太一を家に呼び寄せ、自分の会社や知人の会社を仲介し就職を斡旋するも、親の敷いたレールを歩くことを頑なに拒んでいく太一と度々衝突してしまう。前妻のヒデコ(太一の実の母)とは離婚し、枯淡館で娼婦をしていたスズと再婚。自らを『足長おじさん』と例えたりもする(そんな良心的じゃなくてさくっと言えばやらしいオッサンだろ、と思ったけど)。枯淡館の主人や女将、娼婦たちとは顔なじみで、枯淡館を訪れる時は一応客ではあるものの、身内のようにくだけた感覚で皆に接し、また接されている。ただスイレンだけは贔屓にしていて男女の関係も持っているし、スズの目を盗んで田崎家にも頻繁に出入りさせている様子。
この物語の中で重要な事柄の一つが、『スイレンが枯淡館のお金を盗んだ際、盗んだお金と同じ額を田崎が枯淡館に返済=肩代わりしてやっていること』。結末から言えば、それは田崎自身がスイレンに恩を着せることで貸しを作り彼女を手に入れるため、妻のスズをも巻き込みスイレンが枯淡館のお金を盗んだように仕立てていた。そのからくりは、物語が進むにつれてふわっと明らかになっていく感じ。
地主である田崎は国会議員のヤエシマと深く関わり贈賄もしてきた。が、『向こう側の街』の権力者や地主、それらと裏で繋がりを持った官僚(国家公務員)ウエダの策略によってヤエシマは逮捕、田崎にも警察の手が伸びることで間もなく財産や地位をすべて失ってしまうような顛末へ。
地主という割に横柄な雰囲気はあまりないけど、枯淡館の娼婦らに「お金のある人はたまに爆発する」と例えられる通り、自分の思い通りとは反する発言をするスイレンを叱ったり、大声を出す場面もしばしば。普段分かりやすく偉そうではない分、ここぞ(特にスイレンと二人きりの時)という時の偉そうな部分や怖い部分(権力を持った男性の当然の矜持みたいな)が際立って見えた。それにしても田崎さんが怒鳴ったり声を大きくしても、\ちょっともう、うるさい!/みたいな嫌な感じがないのが不思議だったな。声が通ってらっしゃるからなのか、田崎を演じてる風間さんの凄さなんだろうな~!
浮気やら贈賄やら悪いことはやってるけど、息子の就職手伝って一本立ちさせようとしたり(元妻との約束で)、ゆがんでたテーブルの脚直したり、別れた妻の商売を気にかけたり(都合いいけど)、普通の人間らしさは当たり前にある。他にも茶目っ気というのかユーモアというのか、そういう類いのオジサンらしさも感じました(スイレンの「途中っぽかったので」という台詞に対しての「そんな表現ある?」とか、中盤のエアカレーとかエスカレーターとか結構可愛らしいよね、と)。
ただまあ、結局は女好きというか…女の人がいないとだめなのかこの人…???ってことを思った。娼婦だったスズを手に入れて、次はスイレンを手に入れようとして、すべてを失う予感で弱っている時にはみんなで食卓を囲もうとしたり、前妻の様子を見てきてほしいと人に頼んだり。けど「金と権力さえあれば女なんて必要ない」って言うようなスタンスのキャラクターじゃないからこそ人間らしいのかな。だからこそ「あの人は一人じゃだめな人だから…」的な情が働いて、スズやスイレンはあんなオッサンに惚れてしまったのかもしれないよなぁ…男の情けない部分が母性本能うんたら系。観ていた私も例外ではなく…、決して見習える人ではなくて権力さえなければ非常に\クソジジイ!/なんだろうけど、力があるゆえ佇まいもダンディに思えたし、年の功なのか言ってることも太一やトモの若者の主張よりどうも筋が通ってる。まったくもって最高ではないけど、最低の父親でもないし。ただ夫としては最低です。
話の最後はスイレンの言ってた通り一人で別荘に向かったのかな?その辺りが曖昧だけど、果たして逮捕されるくらいなら自殺するような人なのか、私には結論付けられないな〜。
【スズ】
元枯淡館の娼婦で現在は田崎の妻。太一の義理の母だが、母親になろうと接している様子は特にない。おそらく娼婦をしていた頃に田崎に見初められてそのまま妻に。若くはないけど愛敬があって可愛らしい女性という印象。田崎がスイレンに入れ込んでいることには話の最初からきっと気付いているものの、何を言うでもなく田崎家の奥様プレイを悠々とやってのけている(ように思い込もうとしてる可哀想な人なのかも…)感じ。また、田崎の指示でスイレンが枯淡館のお金を盗んだようにみせかける手伝いをした。それについては物語の終盤で「(田崎に)従いたかっただけなのかもしれない」と話すけど、その辺りの場面が、物語では描かれていないスズが田崎の妻になるまでの時間を感じさせて良いなと思いました。自分を選んだはずの夫が別の女を手に入れるための罪を、目的を分かっていながらも手伝うってそんなね。けど、勿論好きだから妻がいた田崎と結婚したわけだしね…。女の人の情にもろい部分や、本能的に男性に尽くす部分がスズの行動を通じてなんとなくずーんときた気がしました。別に田崎に依存している感じではないのに自然と。
さて物語の中で、何か大きなことを引き起こすポジションではないのに存在感がすごいスズさん。高岡早紀さんが美しいのも一因だろうけど、ある種ムードメーカーみたいに思えた。買い物して、掃除して、読書して、クルーザーパーティーの出し物考えて、太一と小話して、夫が贔屓にしているスイレンに少し冷たくあたったりして。無論働いていたこともあり枯淡館の人々には好かれているけど、みんな田崎が枯淡館にしょっちゅう来てるもんだから気を遣われていなくもないのか…。
田崎に従ってスイレンを嵌めたことが太一にも明るみになった後は、どこか目を覚ましたような雰囲気になり、いつの間にか誰にも相談せず家を出ていく決心をしちゃってるスズさん。田崎も枯淡館の人も誰も、それを止めないのはスズさんの意思の強さを知っているからなのか、スズさんを思ってなのか、みんなそれどころではないのか何なのか…。とにかく混沌とした『ジュリエット通り』から一抜けしちゃうスズさんはちょっとかっこよかった。元娼婦で愛人だった立場を経験し、逆の立場も経験し、母にも妻にもなりきれなかったスズさんの弱さや脆さは、家を出ると決めたタイミングからまるっと女の人が持ってる強さに変わってった感じがしました。だから登場人物が軒並み破滅の方向に向かっていく中で、最もプラスの方向に変わっていったのはスズさんなんじゃないのかな?
最後は、警察の手が伸びる前に別荘へ向かう田崎の見送りを太一に任せてどこかの街へ行ってしまう。立つ鳥後を濁さず…。最後は太一とはちょっと分かりあえたのかな?「アンナカレーニナ」のシーン含め、別に仲良くはないけど太一との相性は悪くないんじゃないかと思った。
【太一】
田崎家の一人息子で物語の主人公。父の再婚相手であるスズとは血の繋がりはなく、兄弟もいない。隣町で洋服屋を営んでいる実の母・ヒデコに会いに行っているのかも分からない。大学を出たものの就職に失敗し、しばらく父が建てた家で将来を見つめ直していた。が、娼婦だった女性を妻にした上、さらに娼婦の愛人をつくる父を軽蔑し度々衝突。家にいる時は邸宅の離れにこもりがちで、周囲の人間には露骨に冷たい態度と口ぶり。就職するため面接に行った帰り、の設定で舞台に登場する太一だが、その面接も父の手回しだと知ったようで「親のコネで入った会社でコキ使われたくねえよ」等と拒否している。
ある時、家に出入りしていたスイレンに「枯淡館のお金を盗んだのは自分じゃない」と告白され、そこに隠れている真実が気になり始める太一。スイレンが隠していること、父が考えていること、そしてこの街で何が起きようとしているのか。舞台上に出てくる度登場人物らとよくわからない喧嘩になりながら、太一が少しずつ何かを突き止めて行っている様子で話は進む。
太一自身がバタバタと動き出すのは物語が佳境になってからかな。ヤエシマの逮捕で田崎家の雲行きが怪しくなり、その内警察の手が伸びて家にいられなくなることを悟り、今まで目を逸らしてきた現実から目を逸らせなくなった段階で、あれほど頭ごなしに拒んでいたのに父の会社で働くと思い直し(思い直したというか、そういう発想は心の中にあったけど不純な気がして反抗していたのかな)、喪失の渦中で精神的に弱っている父親を自分の行動で救おうとする。ただ田崎にもプライドがあるから、ただいきってるだけの息子には頼らないよね…wでも最後らへんで「あんたの会社で働く!」と太一に言われて、田崎にうれしい気持ちは少しでもあったと信じたい(笑)
物語が動き、二幕の終盤では田崎の地位や財産は失われる寸前、枯淡館も隣町の流浪館に間もなく吸収され、いつも軒先でヴァイオリンを弾いていたキキさえ消え、ウエダらの陰謀に包まれた『ジュリエット通り』で、真実を知りながらも何もできることがない太一。周囲の変化に焦りや恐怖を感じでもしたのか…何をされたわけでもないけど結構頭がおかしくなっていく??よね???自問自答して、逃げるように別荘へ行く予定の父と父についていくスイレンが、心中してしまうと頭の中に矢印ひっぱってきちゃった太一。街を離れるスズの代わりに父の見送りに行こうと田崎を探し、やっと自分の思いを伝えるも(そもそも田崎さんいつの間にか消えるし幻覚かもしれないような演出だよね)、思い通りの展開にはならない。そこでいなくなった田崎の代わりに、枯淡館のバルコニーに札束を持ったスイレンが現れて「このお金で自分を買って」と太一に話す。太一は、スイレンはてっきり田崎と共に別荘へ死にに行くもんだと思っていたから、驚きながらも、会話をする内に、スイレンが持っていたお金で流浪館から彼女を買おうとした自分にはっとする。(あらすじにもあった”愛に目覚めた”っていうのを、私はラスト5分のこのシーンでやっと感じましたよ…。)だからと言って、そのお金で太一がスイレンを買い、二人は愛とも情けともとれぬずぶずぶの関係になっていく………んじゃないんだよなぁ…うーん。難しい!!
今度は自分に救いを求めるスイレンを前に、向かいの田崎家に黒幕であるウエダとそれに従うトモの姿を見つけ、意識がそっちに傾く太一。父の安否を思ってか、彼らを追いかけようとした矢先で雨に濡れた地面にスイレンから受け取った札束を落とし、お金の散らばった地面にしゃがみこむ。で!そこでですよ…この舞台を見終わった後『???』を脳みそに浮かべさせた個人的最大の要因、「蟻だ…。蟻が這ってる…」の台詞。暗転して物語もおわり。
…さてまず、いつからそんな子なの太一くん??ってことが気になる。登場した時は「DQNごっこかよ!」と思ったwwけどいたって普通の青年っぽい部分が見え隠れするあたり、そんな遅い反抗期やっちゃってるのは何が原因でいつからなのか、明確でないから難しい。父親が、愛人が原因で自分の母と離婚したせいなのか、就職できないせいなのか。「アンタのほんとのとこはどこにあんだよ」とか「戦争がどうこう」とか「あんたは裸で歩いてる」とかそれなりに精神論なことを言う場面もあり、トモとも友人でジープの連中にするっと感化されてもおかしくなさそうな立場なのに結果そうはならないし。
あと、女性に対しての過剰な態度もすごい。父親が娼婦の愛人をつくって離婚したことからくるコンプレックスでしょうか。自分より年下で立場の弱いキキにお前の母親は娼婦だとわざわざ言うし、スイレンに話しかける時もやけに攻撃的。サクラさんに詰め寄るシーンは怖いし、いつもだいたい眉間にしわ寄ってる太一くん。キツイし言葉遣い悪いし、でも別に何ができるわけでもないっていう…。女の人に嫌悪を抱いてきたからこそ、その反動で、スイレンとのバルコニーのシーンで彼女を欲しいと気付いた自分に「俺は…今なにを…!」みたいなリアクションなのかな。そこはすごく良いし見所だと。
舞台が始まってから、よく見聞きしたのは『ヤス全然出番がない』問題。確かに主演と聞けば、3時間の公演時間に対して登場が少ない印象は残るよね。純粋に演劇を観るものからすれば「そういう問題じゃない」のかもしれないけど、できることなら一分一秒でも自担が長く舞台に上がっているほど嬉しいジャニオタ的には「思ってたより出ないな…」は思う、と思う。私も初日行った帰りは友人と「ヤス主演だけどそんな出ないね?!」ってなりましたけど(主人公ってなると何かすごく大きいようなことをしそうな先入観があるから、主演として見せ場がどどーん!とあって、素人的には度肝を抜かれるようなことをするんじゃないか…ってハラハラ感を抱いてしまうから勝手にハードル上げちゃっててw)。けど、自分でもびっくりしたのだけど、観劇二回目以降はそう思わなかったんだなぁ。それはまた後にも書くけど、一回目より二回目の方が全然楽しいからだと思う。
この舞台の物語って、仮に『もし太一が出てこなくても成立しちゃってる』んじゃないかなぁとも思った。上手く言えないけど、ヤエシマやヒデコみたいに「太一」も名前だけ出演でもそこそこ話は通じるというか…キャラクター自体としてはそんなにインパクトが残らない太一くん。でもそれがよかったんだろう。で、最終的に思ったのは、対人関係や立場が変わっていく登場人物の誰か一人に視点を偏ると、難しい話が余計とわけわかんなくなっちゃうってことでした。何も企んでいない。何も隠していない。何も掴んでない。そういう、ある種出来事を傍観してるばっかりの太一が主人公として動いているからこそ、観ている方も一緒になって「何?何なの?何が起こってるの?!」感をより味わえてる。枯淡館と田崎家の間に挟まれた『ジュリエット通り』的役割こそ太一というか。渦中にいながら『ジュリエット通り』の変化を見てるのは主要人物の中で特に太一だから、太一はやっぱり主人公だなー、と。
あとやすくんってほんと素敵な役者さんになったよね…。タップダンスのとこの可愛さしかり、壁登る身体能力しかり、そういったオタク的見どころもいくつかありますが、劇中での表情がとても良くて感激だったのでそこは是非双眼鏡で!(前に乗り出したり腕広げたりと迷惑行為をしなければ、双眼鏡は別にNGじゃないよ。)あ、双眼鏡覗いてると話がわかんなくなっちゃうかもって思ってたけど、やすくんが出ている場面は割と大丈夫だと思う。…脱線しました。
【スイレン】
枯淡館で働く娼婦。勤めてどれくらいなのか描写がないけど、枯淡館の中ではおそらくいちばん最近入った若い子で他の娼婦に比べて謎めいた部分がある。病弱な男を夫に持ったことで金銭に困り、お金を稼ぐため枯淡館で働いている…というテイに最初はなっているものの、それは嘘である(結構さっさと判明する)。金に困っているわりには仕事を休みがちなので、枯淡館の面々はやや不思議に思っているようだが、スイレンが田崎に気に入られ、また愛人関係にあることは知らない。ただスズは気付いているし、太一も知っている。
スイレンが盗んだお金を全て田崎が枯淡館に返済したため、盗んだ後も枯淡館に身をおいているスイレン。枯淡館は田崎家が所有する土地を借りて営業しているから、地主である田崎がスイレンをかばっていることで、縁あってやってきたスイレンをただ頭ごなしに責めるわけにもいかなかった。田崎に呼ばれ、田崎家の邸宅に頻繁に出入りするスイレンは、ある時同年代でもある太一に「お金を盗んだのは自分ではない」「あなたのお父さん(田崎)のために嘘をついた」等と意味深な発言をする。特に家族や友人といった大切な身内がいる様子もなく、生きるために悪いこともしてきたスイレンは(ひょっとして両親は死んだとかワケアリなのかも…って、ウエダに押さえつけられてるとこで思ったけど)、田崎に従い従うことで求められ、不確かだった自分の存在意義を確認することを選択しながらも、本当の私はそんなんじゃないんだ…!と、どこか自分の運命に抗う気持ちがあったのかな。太一にちょっと話そうとしたのは、自分を変えてほしかったのかもしれないと感じました。
一幕。田崎と共に別荘で過ごす約束をしていたスイレンは、同じ日に議員のヤエシマが主催するクルーザーパーティーに参加すると枯淡館の人々に話したことで、田崎の反感を買う。田崎の怒りを鎮めるためか、自分自身を納得されるためか、腕を差し出し「噛んでください」と言うスイレン。二幕。物語が進むにつれ、実は夫はおらず、また田崎の愛人であることを枯淡館の女将らに知られる。その時既に枯淡館は今まで通りの経営が難しい状態にあり(ウエダらの陰謀で今頃警察が風俗うんたらと言い始めていたし、田崎も権力を失いそうだったため)、隣町の流浪館に引き取られることになりかける。田崎の愛人であるスイレンはそれを拒むも、すっかりウエダの息がかかり人が変わってしまった女将はかばってはやれない。そしてスイレンを迎えにきたウエダと一悶着。唯一あたたかい人の心を失っていない枯淡館の主人を思い、主人に暴力を振るうウエダを包丁で刺そうとしてしまう(主人がかばったので未遂)。ウエダに罵られ、それでもやはり殺意を抱いたことを悔やめなかったスイレンは、自分なんてこの世からいなくなればいいのにと泣く。女将に「あんな田崎さんに惚れてんね」と言われたことを否定しないけれど、最後はすべてを失う田崎と共に別荘へは行かなかったスイレン。スイレンにとって最も大切だったのは、善くも悪くも自分を見つけて救ってくれた田崎に添い遂げる事よりも、本当の自分を見いだすことだったのかなぁ…。父親を救おうともがく太一に盗んだ札束を渡して「私を買って」と言うスイレン…田崎に従って店のお金に手をつけた罪を被りつづけていたのに「私が盗んだんです」といいはるスイレン(どっちやねん\(^o^)/)…太一に腕をさし出し「噛んで」と言うスイレン…。そして流浪館へ行ってしまったのか、はたまた別荘へ行ったのか、分からないまま。
いやー、もう一言で言うならメンヘラヒロインだよね。自分が何なのか、自分はどうして生きているのか、自分はどこにあるのか、もうとりあえず分からない。分からないし、どこへ行って何をすれば答えが見つかるの?誰がそれを教えてくれるの?的な精神グラグラ+依存体質…と見せかけて、結構自分の意思はちゃんとある女性なんだなと。その辺含めてメンヘラ。よく言う、もう無理死んじゃうって言って泣いてるひと程大丈夫なパターンのやつww
田崎さんには心底惚れていたのかなぁ。自分を見初めた金持ちのオッサンにあれこれ振り回されはしたけど、振り回されることで生きていることを実感していたから、やっぱり田崎は自分にとって必要不可欠だった。金銭に困り安心安定のない日々の中、ふと生まれる虚しさを埋めてくれるのは男性のそういう強引さや、たとえ愛人だろうとも人に必要とされることだったのかも。スイレンはどうなってしまったんだろう〜、けどどこかへ行ってもまた誰かに「噛んで」って言ってそうw
わ〜誰も救われないじゃんこのお話…せめて太一と幸せになってほしいよ〜みたいなミーハーな希望は全然叶えられなかった(笑)ていうか大政絢ちゃんかわいいなオイ…。水球ヤンキース見てたからキャラ違って良いギャップだったし、悲しそうな表情と悲劇のヒロイン感がすごくすてきだった!
【ウエダ】
国家公務員で枯淡館の常連。娼婦・ダリヤの客だが、ダリヤの出勤時間外にやってきてサクラを選んだことからダリヤに怪しまれる。物語のひとまずの黒幕であるウエダ。偉そう感とクズ野郎感と頭良さそうな雰囲気のバランスが絶妙すぎる(笑)
どんな形の係わりかは不明だが、ジープの連中(色々な職業の人間が属しているようなので、ウエダと並ぶような大物もいるのかな?)とは既知である様子。ヤエシマはジープの連中から反感を買っていたから目をつけられ、足元すくわれたのかしらという。『ジュリエット通り』の人々には隠れて隣町と繋がり、ヤエシマを失脚させ、田崎の土地を巻き上げることを企み実行した。枯淡館ではダリヤを贔屓にしながらも上手くサクラに近付き、枯淡館を流浪館へ吸収するためサクラや女将を唆していった。けど、以外とサクラさんに本気になっちゃった?サクラに亭主と別れてくれるよな、とか言ってましたし…でも自分が奥さんと別れろって言われるとごまかす、分かりやすい調子いい男じゃんウエダさん…。それでもしたたかで賢いからこそ、土地を奪う計画をやってのけたんだろうけれど。二幕の鏡でのサクラさんとのシーン&娼婦のみなさんの踊りに囲まれる演出は、女性に翻弄される男性の雰囲気なのかな〜。街からヤエシマや田崎を追い出した後は、ウエダがどんどん権力を握っていくのかもしれないけど、どうなってしまうんだろう。いずれウエダさんも誰かに足元すくわれそう。
【ヤエシマ】(名前だけ出演)
国会議員で、田崎から金を受け取っていた。クルーザー宴会などと、金遣いは派手であった様子が伺える。ウエダらの陰謀によって悪事を暴かれ逮捕された。街頭演説でジープ
の連中に対し言及していたことから、彼らと衝突していたことも劇中で話されている。
【ヒデコ】(名前だけ出演)
太一の実の母親。田崎の土地ではない隣街で洋服屋を営んでいる。それ以外のことは特に話されていない。
【キキ】
枯淡館で働く娼婦・ボタンの一人娘で高校生。ヴァイオリンを弾く事ができる。田崎がボタンを介し、太一にキキの家庭教師を促したことにより半年前まで太一の教え子だった。その縁で物語の序盤では太一に恋をしているが、メールを送っても返信がなく、まるで相手にされていない様子。
面接帰りの太一が持っていた拡声器をジープの連中に返しに行ったことをきっかけに、トモと共にモリオカと知り合い、次第に深い繋がりを持ちながら影響を受け、ついには母であるボタンの元から離れていってしまう。モリオカから外国製の煙草をもらい、それも吸うようになる。学校では母が娼婦であるが故にイジメにあっていたが、やけに大人びているせいもあってか加害者の行動に対して漠然と疑問を抱き、また、母の職業を軽蔑してはいないと明言していた。物語中盤でジープの連中の所持品である拡声器を使い『恋の季節』を歌うことから、その時点でモリオカを含むジープの連中らの元に随分入り浸っている様子が伺える。しかし、終盤ではモリオカをマシンガンで撃ち殺し、更には亡骸を目下に煙草に火をつけるといった想定外の展開に。登場人物の中で最も若く若いらしい部分もあり、感情を大声にしてぶつける印象ながら、単純なキャラクターではない二面性をものすごく感じさせる。同じくキキもどこへ行ってしまったのやら。トモやウエダに付いてくのかな。
キキはほんと、キャラクターも濃いしインパクトも大きい。まさに裏ヒロインみたいな感じ。
【ボタン】
枯淡館で働く娼婦でキキの母。恐らく田崎と同年代で、田崎の父親や古き良き時代を知っている。枯淡館の若い娼婦たちのお局・女手一人で娘を育てる母としてのしっかりした部分と、正反対とも言える脆い部分の二面性が、キキの母であることと自然にリンクするように思える。感情を込めて話すと次第に田舎のナマリがでてくることや、意地を張っても後にきちんとあやまること、親元を離れていくキキに対して「母さんを軽蔑しているかどうかだけが知りたい」と思いのまま口にするなど、根っこは思いやりにあふれた非常に素直な人物である印象。だけど不器用で、ジープの連中に影響されそちら側へ行ってきまうキキを引き止められない。キキが自分の元を去って行っていってから、もうボタンの精神が心配だけど、暗い道にふらふら消えて行ってからもう出てこないので結果やはり心配…。枯淡館も多分なくなってしまうしね…。
【サクラ】
枯淡館で働く娼婦だが、周囲と異なり少々クールで賢い雰囲気。一応先輩であるボタンに淡々と嘘をつき、後輩であるナデシコも上手く従えている。行く行くウエダやジープの連中と繋がっていたことも明らかになるが、客として枯淡館に来たモリオカについたカンナの「よろしく言ってましたよ」や、隣町のヒデコの店に洋服を買いに行っていたりと、確かにそれを頷ける行動はちょこちょことっている模様。スズとは親しい様子だったけど、ウエダやジープの連中との係わりは別に話していないのでスズとは単に友人的な感覚の付き合いに思えましたが。
淡々としていて、裏で物事を牛耳るウエダをも手玉にとっているような雰囲気のサクラが、モリオカやジープの連中(ひいてはその先のウエダ)との繋がりを持っていることを知った太一に詰め寄られ、本質を突つかれることにより初めて取り乱したような様子を見せる場面は印象的でした。トモやキキにマシンガンを平然と渡すあたり、思考は随分ジープの連中に寄っているしサクラさん自身も力があるのかな?ある種枯淡館を売ったサクラは、この先ウエダと不倫してお金や権力に溺れて行ってしまうのだろうかね…出てこないけど旦那さんはどうなるのや…。
【ダリヤ】
枯淡館で働く娼婦。分かりやすい恋愛体質で、怒ったり甘えたり泣いたり喚いたりと素直な人物。客のウエダにすっかりのめり込み、それ故サクラと衝突するも、結局選ばれなかったダリヤは気が触れてしまったようで非常に可哀想。自分を離れたウエダを探して、裸足で枯淡館を飛び出してしまうほど精神面からやられてしまっているダリヤ姉さん…。裸足で通りをうろついていることに見かねた太一に靴を貸してもらったけれど、それからどうなってしまったのか、こちらもまたよく分からない。全然悪い人じゃないから幸せになってほしいけど。
【モリオカ】
街にある酒屋の息子。店を継ぐ気はなく、ジープの連中の一員として活動し『ジュリエット通り』の人々には何か迷惑されている。最初はカンナの客として枯淡館を出て行く場面で登場するけど、その時点でカンナが「理屈っぽいのよね」と語っていることから既にジープの連中の中にいるのだろう。度々通りに出てきてはマシンガントークで思想を述べていなくなり、急にトモをボコボコにしたり、フランス語しゃべったりして、もう…慣れないう内はすっごい奇妙で怖い(笑)モリオカが話している事は分かるような分からないような感じだけど、物語の進行とはあまり関係ないというか、Aさんの水田Bさんの水田どうこうとかはそんなに気にせず聞いてればいいと思う。そんなに重要じゃないことだよね多分。内容より大事なのはモリオカがガチってこと(ざっくり)で、トモやキキやサクラに比べると、戦争反対や世界平和を本気で考えている。何も成せない政治に疑問を抱いてウエダに言及し、それで反感を買ったことから撃たれてしまうのかな。正直、モリオカが死ななきゃいけなかった理由がピンと来ないけど…一応個人的な結論としては、ウエダらにとって『目障り』になったってことでFA。二幕終盤の基地みたいなところでは、もう殺すテイ・殺されるテイでそこにいたもんね。キキとはどこまで愛情が育っていたのか分からないけど、キキがモリオカを撃ったのはキキ自身の感情から来るもので、別にサクラやウエダの指示ではなかったと思いました。思いましたっていうか思いたかった。だって、ジープとか銃とか怖いですけど、やっぱちゃんと意志を持って活動していたのに権力者に生意気いったせいで撃たれて死ぬなんてさながら処刑で可哀想すぎる。キキに撃たれてよかったと思う。でもなんで死ぬ必要があったんだろうな…。
【トモ】
街に暮らす若者。と、いうこと以外に基礎情報はありませんが、一応太一の友達でキキとも知り合いの若者。最初は太一を好きなキキに仲を取り持つよう頼まれているけど、いわゆるクソガキ(って年でもないけど)でからかってばかり。キキ同様、モリオカと知り合うことで少しずつ影響を受け、気が付くとすっかりジープの連中に仲間入りしている。それにより太一との係わりもだんだん薄れていく。太一に「いい女だよな、スズさん」と話したり、田崎に向かって「犯罪者」と声を荒げたり、ぐらつく若者を雰囲気を太一以上に背負っている感じ。人に感化されやすい性格なのか、将来がちゃんと定まっていない若者だからなのか、心からモリオカを崇拝している風…だと思いきや結局は更に力のある方へついていってしまうことに。どういうきっかけでモリオカに見切りをつけたのか、それはよく分からない。田崎さんに「ジープを乗り回して楽しいか」と突つかれ、必死になって言い返している姿からは、モリオカのように自分の中にしっかりとした意志があるようには思えないけど、モリオカが死んだことで彼の中で何か価値観や考え方が変わるのかもしれない。トモは引き続きサクラやウエダと共にいるのだろうけど、せめてキキとも一緒にいてくれたらいいな〜。
【女将】
枯淡館の女将さんで、娼婦らにとっての「お母さん」。ちょっとキツそうでテキパキ、サバサバしていて、でも皆には慕われている感じ。突然、警察から風俗の営業許可をとるよう言われて今更なんだと最初は怒り心頭だったけど、物語の裏でいつの間にか乗っ取り勢力の息がかかり、枯淡館を売る方向へ傾いてしまった。先のない枯淡館や働く娼婦たちの行き場を考えて、また力のある人間を見極めて賢く生きる選択をしたのだと思うけど、ウエダに詰め寄られる自分の旦那さんを見捨てるところは悲しかったー。
【主人】
枯淡館の主人で、娼婦らにとっての「お父さん」。温厚な雰囲気で、癒し系といっても過言ではないくらいこの異様な話の中での善人。絆、恩といった人間のあったかい繋がりを重んじていて、娼婦たちやスイレンにも常に優しい様子。代々枯淡館に土地を貸してくれている田崎家には非常に恩義を感じている。不安定なスイレンに最後まで励ましの言葉をかけているけど、田崎がいなくなり、枯淡館の未来が見えない状態で、女将についていくのかどうなのか、案の定そこは描かれておりません。
とにかく唯一いい人すぎてお父さん担になったわ…
【ナデシコ】
枯淡館で働く若い娼婦。あっけらかんとした雰囲気で、ショートカットでドレスも寒色系、私服もカジュアルで、ダンスの練習シーンでは女将に色気が足りないと叱られることからも周囲に比べてはやや女っけに欠けるキャラクター。先輩娼婦であるサクラと仲が良い、というよりは肩を持っているのか、ダリヤに対してライターの置き場所をしらばっくれるサクラの嘘に対し、すぐに口裏を合わせる器用さも感じられる。
【カンナ】
枯淡館で働く若い娼婦。声が高くノリがよく可愛らしい、ナデシコよりも更に今ドキの若い女性の印象。物語の冒頭では客として枯淡館にきていたモリオカについた様子。重要な何かを担う人物ではないが、モリオカとの会話をいくつか話すので、その内容(・何故娼婦をしているかと聞かれて「お金が好きだから」等と素直に答えたらもっと違う答えを期待されていた。・枯淡館の軒先で会ったモリオカとサクラ姉さんの話をする。等)は少々キーワードのような雰囲気にもなっているのかな。
えーっと…全員書いたと思うので、次!
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〜その③ 難しいところと疑問点〜
(1)時間
まず、非常に時間が分かりにくい。何時なのか、何時間経ったのか、何日目のことなのか。家に帰ってくる田崎をスズが迎えるシーンから「蟻だ…」まで、どれくらいの期間なんだろう?それが分からないとダメってわけじゃないし、人が逮捕されたりしているからそれなりに時は経っているんだろうけど…分かった方が、分かりやすい。演劇ってそういうの考えるな!感じろ!系なのかね。季節も分からないけど、キキ夏服だし春なのかな…。
(2)消毒液のにおい
えーっと、何故そんな匂いがしてるの?その家から時々太鼓の音が聞こえてるって女将が言ってたけど、それだけだし、あんまり気にしなくてもいいのかな?……考えるのをやめた(カーズ)
(3)太一はいつ、ジープの連中とサクラの係わりを知ったの?
中盤、サクラに乱暴に詰め寄る太一ですが、どっちの内側にもいないはずの太一が何故それを知ったんだろう。カンナがサクラとモリオカの話している場面にいたからかな。それだけであんなに詰め寄るほど何かを掴むかね?
この舞台って裏でもあれこれ話が進んでるから、すっごく注視していたつもりでも気付いたらおいてけぼりになりがち。
(4)歯形について
スズさんがクルーザーパーティーの演目用に書いたお話にもでる、歯形と男女の関係性。台本にはスズさんの皮肉がこもっていて、殿様=田崎さんかと思ったけどよくよく考えてみればなんかそれは変。殿様は側妾と小性に歯形を残したわけで、側妾と小性が恋に落ちるんだよね?うーん。スズさんが最後、雨の中で触れている歯形はその昔田崎に残されたもの、で合ってる…のか…。
けど田崎さんやに太一に腕を出して「噛んで」っていうのはスイレンだし。歯形ってどういう扱いなんだろう、この作品の中で。うーん。
(5)鏡の演出
鏡の演出ですが、何狙いなんだろう?鏡を使う事で混沌とした状況が現れているのかな?何で鏡なんだ…結構前列で観た日はチラチラして眩しかったのと自分の顔が映って気になってしまった(笑)岩松さんの舞台では定番のやつなのかな〜。あとそこで太一の「優しいと言わないでくれ!それが真実だったことはない!」みたいな台詞もありましたけど、ダリヤが靴を貸してくれてた太一に優しいねって話した以外に誰かが優しいと言っていたわけじゃなかったから、よく分からない台詞だった。
(6)蟻
そして最大の疑問……最後、なぜ蟻???
スイレンを買うことで太一がスイレンの存在を証明する役割であったはずの札束は、スイレンを手に入れることができない今、一切の価値を無くし、何も語ることのない虫が這っているかの如く無意味になってしまった…のか。すごく単純に考えて、太一が、父親やスズさん、スイレン、家を失ったショックで頭おかしくなったってこと?別荘へ行ったはずの田崎さんが再び出てくるのは時間軸を無視した太一の幻覚??
とにかくポカーンってなりまして。冒頭の田崎とスズの会話(男の子が蟻をつついていて~)とか、太一登場時の拡声器での台詞(蟻の行列に聞いてみたけどうんぬん)が伏線になって繋がってる?のかもしれないんだけど、蟻=価値のないものって表現があった感じでもないし、このラストが非常に観劇後の『???感』を強めるんだよなぁ……。
パンフレットで、『シダ』観たヤスが「着地点がわからない」って書いてたけど、まさにそれでした。演劇って観終わってからアレコレ話したりするのが醍醐味なのかもしれないけど、もう最後の意図だけは岩松さんに聞けるものなら聞きたい…w
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〜その④ 全体的な感想〜
どっかにも書きましたけど、一回目より二回目の方が断然楽しかった『ジュリエット通り』。話の展開や結末がわかっているから、舞台上にいる人物の行動一つ一つに意図を感じられて面白かったです。演出に台詞の意図にも断然気が付けるし。特に枯淡館で娼婦や田崎が、誰かの台詞に反応してとる態度だったり、仕草だったり。その辺はとても繊細な感じした。だから二度目を迷っている方は、もう一度観劇されることを強くおすすめいたします…!
演劇になれていない身からすると岩松舞台は非常に難しく、やっぱり観方が下手で汲み取れない部分もまだまだあるんですが、数を重ねると不思議と中毒になってく感はある…。個人的にはフランス映画っぽいなーと思いました。長いし、悪く言うと退屈なんだけど、でもなんか見ちゃう(笑)
素敵な台詞や、素敵な場面はほんと沢山あります。私はやっぱりジャニオタなので、スズと太一のやりとりが可愛くて好きです。四人そろってのエアカレーのところは、田崎さんの思い出にすがりたくなる部分や四人それぞれの考え方と精神状態をふわーっと感じられて、なくても話しは伝わるシーンだけど、その深い意味を感じない部分が緩急?になっていて、そこも好き。あのシーンが終わったらもうなし崩しだし、あとみなさんかわいらしいし。スズさんの「…吸っちゃお」とかね。客席から笑いが出るのもこの辺がいいばんだったと思う。初日は「え、これ笑っていいの?!いいのかな?!」って感じでしたけど、笑っていいみたいですw
太一の行動そのものを振り返ってみてふと思ったのは、エイト好きな人しか分からないやつだけど、PUZZLEのエイトレンジャーのナスレンジャーみたいだなって…wwでもほんと変わってく両者(ブラックチームとレッドチーム)を見ていて、「あれ……俺まで歌ってしまいそうー!さまよいながら〜♪」ってなるとことか。中立ってほど真ん中でもないんだけど、枯淡館(スイレン)と、田崎家(父)を見ながら自分も感情を突き動かされていく感じが。そう考えると非常に難しい話
のようで流れはシンプルなのかも。
登場人物がみんなそれぞれ理不尽なようであって、なかなか的を得た事も言うところも楽しかった。田崎が太一に言う「働いてみてもいないのに」とか\それな!/ってww太一くんは太一くんなりに悩みを抱えているけど、でも甘えてるよね。みんな正しくて、みんな間違ってて、みんな自分を持ってて、みんな自分が見つかっていない。全体としてそういう印象をすごく受けたし、その曖昧さというのかなぁ…結論が全然出ない感覚が、人間味なのかなと思った。あと、男女の愛よりは、きれいじゃなくても切る事ができない親子の絆の方をより感じました。親子って親がクズでも子供がクズでも切れない縁とか情とかあるからなぁーと。自分は子供はいませんが、思春期に散々親とばちばちして暴言吐いてきたことをなんか振り返って反省してしまいました。
ある程度大人な年齢でこの作品を見られてよかったです。自分が中高生だったら、多分ちんぷんかんぷんだったわ…
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まだ何回か観劇するので、まだ気が付くところがあるだろうし、また心境も変わりそうです。
難しいことに代わりはないんだろうけど、簡単=良いってわけでもないのだろうな。
分かりやすくて親近感があり、自分に近くキャラクターにも共感しやすい作品ってやっぱりすぐ響くから、もっと現実に近しいお話なら一言で「よかった!!!」とまとまるかもしれませんし、ミーハーなのでそういう大衆向けの作品も大好きですが、今回はそうじゃない良さもあることを感じることができました。観劇して、意味分からなくてああだこうだ言って、さも自分が頭がよくなったような気持ちになって(笑)演劇や舞台の大人な楽しみ方をジャニオタは痛感しましたよ^^
観客は圧倒的に女性が多くて自分含めオタばっかりだろうけど、観に来た偉い方がやすくんに興味を持って下さって、また次のお仕事に繋がるといいな。
東京公演は折り返しですが、怪我なく楽日を迎えることを誰おまな感じで祈ります。
ありがとうございました、おわり!